top of page

滑舌を良くするために――ナレーターにとっての「滑舌」とは?


こんにちは。ビートワン代表の金沢寿一です。今回は「滑舌」についてお話しします。

「滑舌」は、多くの方にとって悩みの種になりがちなテーマです。しかし、間違った意識のもとにトレーニングをしてしまうと、かえってマイナス効果が出てしまうことも多くあります。この記事では、ナレーターを目指す方はもちろん、それ以外の方にとっても重要な「滑舌」についての考え方をお伝えします。

どの程度の「滑舌」が必要なのか?

「滑舌」は、声を使う仕事をする人にとって大きなテーマです。しかし、ひと口に声を使う仕事といっても、俳優・アナウンサー・テレビタレントなど様々です。教師などもそこに含まれるでしょう。そして、必要とされる滑舌のレベルは、それぞれ異なっているのです。

ナレーターにとっての「滑舌」には、どの程度の「良さ」が求められるのでしょうか。ざっくり表現するならば、「一般の人が聞いて首をかしげるレベルではまずいが、違和感なく聞けるようならばそれで十分」だと私は考えています。「アプローチ」のクラスなどでは私はよく「ナレーター(=声の表現者)になるのであって、『滑舌の達人』になるわけではない」と表現します。

これは決して、滑舌を重視しないという意味ではありません。滑舌はもちろん、良いに越したことはありません。ただ、間違った「滑舌の良さ」を追い求め、それを不必要に意識することで良いナレーション(表現)の妨げになってしまうケースが多く見られるのです。

よくある「間違った滑舌」とは?

滑舌のトレーニングをするときに多くの人が行うのは、イラストや写真によって母音の「あいうえお」の口の形を認識し、その通りにやろうとするということです。

しかし、舌の長さや厚さ、口型、上唇や下唇の形などは、人によって様々です。それにもかかわらず一律にお手本の形だけをなぞって真似をしてしまうと、みんな同じく機械的な音の出し方になってしまいがちなのです。そして、それを「滑舌のよさ」と勘違いしてしまうことが多いのです。

このように発声してしまうと、自分がもともと持っている声の特徴をなくしてしまうことになります。最終的には「個性ある表現」を目指していかなければならないのに、そのはるか手前の「滑舌」という基礎的な部分で、個性のために不可欠な「特徴」を失ってしまうのです。

正しい滑舌のための「自分の五十音」

「間違った滑舌」の原因には、どのようなことが挙げられるのでしょうか。よく見られるのは、口型の作り方の誤りです。滑舌を意識するとき、ほとんどの人は口角(唇の端の部分)に力を入れて口型を作ってしまいます。しかし、ここに無駄な力を入れる(大げさに口元を動かす)必要はありません。本当に意識すべきなのは、口角ではなく中心(身体の正中線と口が交わる部分)なのです。

そのうえで行うべきは、「自分にとっての五十音を早く見つけ構築する」ということです。もちろん、誰が発音するときにも当てはまる正しい五十音の発音というものがあります。しかし、それを達成するために意識すべきことは、人によって異なります。つまり、誰にでも「苦手な音」というものがあるのです。まずはこれを発見し、認識することです。

ただし、「苦手な音」をどのように意識し、対処するかということはとても重要です。苦手な音を克服しようとして、すべきことと正反対のことをしてしまうというケースが多くみられるのです。

「らりるれろ」を例にとってみましょう。「ら行」は「弾音」ですから、舌の先の「舌離れ」が大切です。ら行が苦手な人は特に、これを意識しなければいけません。しかしダメなケースにおいては、ここではっきり言おうとしてはっきり言いすぎてしまう、つまり「舌の先に力を入れてしまう」のです。これでは舌離れが悪くなってしまい、「雑な音」が出てしまいます(「雑な音」については以下の記事をご参照ください)。

私の場合は、もともとの発音が東京弁寄りなので、ら行のときに巻き舌になったり、また強く言ってしまう傾向がありました。これは標準語の発音として正しくありませんから、若いころはその点に注意していました(「標準語」については以下の記事をご参照ください)。

ナレーターにとっての「滑舌」、「外郎売」の使い方

以上のことさえしっかり注意することができれば、それ以上に無駄な意識を滑舌に向けることは、ナレーターにとっては必要ありません。繰り返しとなりますが、はっきりくっきりした機械的な訓練が表現の邪魔になることがあるのです。

近年テレビ番組で大活躍しておられる林修さんという方がいます。もともと予備校講師の方ですから、人前で話すことは専門分野ですが、彼の滑舌はプロの目から見ると「決して良いとはいえない」ものです。しかし、それでも視聴者は林先生の話に熱心に耳を傾けますし、意味ははっきりと伝わってきます。一体なぜでしょうか。それは、彼の話にはいつも「しっかりとした内容がある」からです。この事実は、「表現と滑舌」について考えるときに参考になるでしょう。

また、滑舌の話をするときにつきものなのが、「外郎売(ういろううり)」です。歌舞伎の劇中に出てくる長科白ですが、現代ではアナウンサーや俳優・声優のトレーニングに非常に多く使われているものです。この「外郎売」はまさに最高の教材であり、五十音のすべてが含まれています

ただし、特にナレーターが「外郎売」でトレーニングを行うときには、「注意深く丁寧に表現する」という意識が大切です。一音一音はっきりくっきり発音しすぎることで機械的になってしまってもいけませんし、「早口言葉」のように読み上げてしまってはいけません。それでは、せっかくの最高の教材を使っても、表現力を向上させることにはつながっていかないからです。

タグ:

特集記事
後でもう一度お試しください
記事が公開されると、ここに表示されます。
最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
bottom of page