

自分の声に違和感? 客観的に知るためには
こんにちは。ビートワン代表の金沢寿一です。 今回のテーマは、「自分の声を客観的に知るために」です。前回のコラムで「いい声・きれいな声」について述べました。それでは、自分の声がどんな声なのかということを、どのようにして客観的に認識すればよいのでしょうか。実際、自分で認識している「自分の声」と、他人の聴いている「自分の声」は、ずいぶん異なっているのです。 録音した自分の声が気持ち悪い、という問題 録音した自分の声を聴いたことがある方のほとんどは、「気持ち悪い」「自分の声はこんな声ではないはずだ」という違和感を感じたことでしょう。特にナレーターや声優を目指すような方は、トレーニングの中で日ごろから感じていることかもしれません。そのとき、「いい声だ」と感じる人の割合はおそらく1割にも満たないはずです。たいがい、がっかりするのです。 この違和感はなぜ起こるのでしょうか。音声学的な詳細はさて置いてごくシンプルに説明すると、自分の声をそのまま自分で聴く場合には「空気を伝わって聞こえる声(気導音)」と「骨伝導で聞こえる声(骨導音)」が重なって、いわばステレオのよ


いい声・きれいな声とはどんな声?
こんにちは。ビートワン代表の金沢寿一です。
今回のテーマは、「いい声・きれいな声とはどんな声?」です。前回のコラムで、「ナレーターになるには必ずしもずば抜けていい声である必要はない」ことを述べました。ではそもそも、「いい声」とはどのような声を指すのでしょうか? いい声・きれいな声とは? 声について「いい声」「きれいな声」などというのは、あくまで第三者が認識して感じることです。音声学などの学問領域ならともかく、表現という意味で「声」を考えるときには、数値化できる指標などを設定するのも難しいことです。 それでも、明らかに「いい声・きれいな声」、誰が聞いても美しい・心地よいと感じるであろう声というものがあります。私の俳協時代の先輩ナレーターの方でいえば、女性ならば前々回のコラムでも触れた中村啓子さん(NTTの時報など)、男性ならば故・城達也さん(「JET STREAM」など)といった方々が思い浮かびます。 こうした方々は、表現として個性を乗せる以前のベースの段階で絶対的な「いい声」の持ち主であると思います(もちろん、そのうえで素晴らしい表現をされるた


ナレーターになるには
こんにちは。ビートワン代表の金沢寿一です。
今回のコラムのテーマは「ナレーターになるには」です。ナレーターになるには、どのようなことが必要とされるのでしょうか。技術的な意味でも、また事務所に所属するなどの「道筋」という意味においても、様々なことがあげられます。 基本の基本「標準語」 ナレーターに必要とされる技術は多岐にわたり、一口に説明できるものではありません。しかし、基本の基本として身に着けるべきことに「標準語」があります。 現代の日本の標準語の成り立ちは、明治時代にまで遡ります。詳しい説明は置きますが、かつてどの地方の方言にもあたらない標準の日本語を定めようという動きがありました。これは東京の山の手言葉をベースにしているのですが、「標準語」イコール「東京弁」というわけではありません。 現在、国によって法的に標準語が定められているわけではありませんから定義が難しいのですが、ここでいう標準語の基準となるのは、NHKラジオのニュースで用いられる日本語だと私は考えます。NHKでは「共通語」という言葉が用いられることもあるようですが、ナレーターを目指